ブログ再開 20130614

| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
自宅を建て直すことになり昨年暮れに解体した。更地になった小さな土地に鉄塔だけが残っている。異様な光景だ。
お陰で屋根の上に載せたお気に入りの磁界ループアンテナ・MLAやEHはお蔵入り。仮住まいでは無線もできず、冬場の移動運用も寒そうだし、しばらくはおとなしくしていることになりそう。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
無線に憧れてはいたものの、1970年に就職してもしばらくは無線に近づけないで居た。
入社してしばらくしてから、ミニコンのハシリ HITAC-10 のプログラムをいじった。
電動タイプライタで紙テープにプログラムを書き込む・・・・穴を開ける。
タイプミスやプログラム手直しは紙テープを切った貼ったで、今思い起こせば、気が遠くなるような仕事であった。
弁当箱のようなコアメモリユニットにも驚かされたものだ。
INTELから4ビットマイコンが発売されたのはその頃だったろうか、i-4004、そして8ビット8008、8080と、懐かしいマイコンが次々と誕生した。その仕掛けを勉強するための「トレーニングキットTK-80」も有名になった。
まもなくミニコンはオフコンとなり、一方で組み込みマイコンはバリエーションがどんどん増えた。
パソコンの元祖?BASIC MASTERやMSXでも遊んだ。本当は仕事だったのだが・・・
入社10年以上たった頃、HAMの免許を取得してRTTY通信にはまった頃に使ったコンピュータはMSXであった。
変復調はハードウェアでメッセージの入力と受信表示だけがMSXで、プログラムはベーシックで自作、かなりの編集機能も作れて、楽しめた。
数年前から使わせていただいているMMTTYプログラムの機能を知るにつけ・・・・隔世の感である。
81年にはめでたく無線機設計を担当することになった・・・・が、高周波ではなく無線機の制御マイコン周りとソフト設計が仕事であった。
無線機の周波数設定が水晶方式から、今では当たり前のシンセサイザ方式に変わったことで、シンセサイザ制御のために、マイコン屋が必要になったことが幸いした。
高周波が苦手な無線機設計技術者?が誕生してしまった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
自宅の真空管ラジオを分解してひどくしかられたのは、小学校の頃。
遠い所の人の声が聞こえる、話ができる、これは面白い。
ラジオ大好き少年が一人誕生した。
小学校5年、秋葉原に大金?を握り締めてテスターを買いに行ったことは今でも憶えている。
その後、エンジニアになりたい、無線通信技師になりたい、いろいろに変遷はしたものの、やはりいつも無線につながっていた。
「無線で飯を食う」が願望・・・夢だった。
今までのところ、38年間、無線関連で飯を食ってきている。
思い〔夢〕があると通じる、実現するものだという実感を持てるようになった。
技術の方はまだまだが、電気のイロハ(オームの法則?)だけでも何とか食えるという、負け惜しみは言えるようになった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント